東九条CANフォーラムの設立経緯

0.「多文化共生のまちづくり」をめざして

 戦前から戦後にかけて、東九条地域には民族差別や部落差別、貧困にあえぐさまざまな境遇の人々が肩を寄せ合い生きてきました。中でも1960年代以後、廃 品回収に従事する人々の集落は度重なる大火災に遭い、多くの住民が着の身着のままに焼け出され、人命が失われました。これに対し、京都市は深刻な社会問題 として認識するに至り、当時の京都市長も現地を視察し、問題の深刻さに「東九条対策」を約束しました。
 それから約40年間の時間の経緯の中で、住民運動と京都市の「協力」により一部住環境等で成果を上げたものの、それは東九条の抱える問題の一部にしか過 ぎませんでした。これまで東九条は狭い範囲で限定されてきましたが、もう少し広い視点が必要で、特定の地域に限定する必要はありません。多文化共生の真の 実現にむけて、ニューカマーや新たな貧困層の流入など、社会の矛盾が集中する地域としての東九条の特性をおさえる必要があります。
 同時に、東九条の本質の問題、民族差別や部落差別、障がい者差別などの是正という点では著しく立ち遅れているのが現状だと私たち「東九条CANフォーラ ム」に集う者は考えるに至りました。私たちはもう一度東九条の歴史・現状から根本的に問題を捉え直し、未来に希望の持てる「多文化共生のまちづくり」をめ ざし、自ら主体者として提言し、行動をおこすことを決意しました。

1.東九条CANフォーラム(準)を呼びかけるまで(前史)

 それまでバラバラに行われていた在日外国人施策を1本化するために、京都市は外国人市民などの要求を受け入れ1995年に「国際化推進室」を開設しまし た。これに呼応して1995年夏、在日外国人の人権・教育・労働問題、文化活動に取り組んできた11団体が集まり、ネットワークを起ち上げました(事務 所・連絡先「HEAT」〈現「まめもやし」〉)。
 ネットワークの主な目標を、在日外国人(主に韓国・朝鮮人)多住地域である東九条に「国際交流会館分館(仮称)」の建設に置き、その実現に向けて活動を 開始しました。具体的には、国際化推進室との個別交渉、市内の主な事業所(150)による「外国人労働者に対する待遇や意識」などの調査、1996年2月 の市長選挙3補者に対する「公開質問状」(前市長の桝本氏ほか全員から回答を受け取る)などを行ってきました。
 これらの活動は、1997年に策定された「京都市国際化推進大綱」や、「南区基本計画」等に一定程度反映されました。特に「南区基本計 画」(2001~2010年)では、具体的に「4つの重点プロジェクト」の「区民の交流を支える施設の活用」の「計画内容」に、「在日韓国・朝鮮人やアジ ア地域の人々との国際交流の拠点となる施設の整備を目指します」と明確に記述されました(計画達成まで後1年余となりましたが、未だ達成されていませ ん)。
 しかし、このネットワークは、「HEAT」から「まめもやし」への改編など、各団体の個別事情により、自然解散しました。総括点としては、①東九条の住民自身が積極性を発揮できなかったこと、②要求の正当性・妥当性のアピール不足などを挙げる必要があります。

2.東九条CANフォーラム(準)への呼びかけ

 2007年11月、上述のネットワークに参加していた数人が集まり、「南区基本計画」に謳われた「国際交流会館分館(仮称)」建設が立ち消えになっているばかりか、予定地とされていた南岩本町の一角がそのままの状態になっていることを再確認し、再度京都市に東九条に在日外国人施策を目的とした「拠点施設」建設要求を行っていくことを確認しました。
その後、東九条問題や在日外国人問題に関心のある個人や団体、研究者などに呼びかけ、月2回ほどの会合を行い、2008年2月に行われた市長選挙に照準を 合わせ、各候補者に公開質問状を提出しました(有力2候補から回答を得る)。そして、2008年2月9日、東九条北河原改良住宅集会所にて「東九条CANフォーラム(準)」を結成し、代表に朴実、副代表に金周萬、廣瀬光太郎、事務局長に山内政夫を選出しました。
 この間の議論を通して確認されたのは、東九条地域に多文化共生の拠点的施設を公共のものとして建設することを改めて求めていくことを第一の目的としつつ も、これまで課題となっていた各団体や諸個人のネットワーキングをさらに強めて発言力を増し、目的実現のめには、間口を広げ東九条内外の多様な人たちとも にこの実践を進めていくこと必要があるということでした。そして、「まちづくり」に着手することを志向するようになってきたことです。
 その後、東九条にある問題を改めて把握しより多くの人たちと認識を共有するために、フィールドワークを行うことを計画しました。次に、ワークショップを通じて東九条CANフォーラム(準)の課題を明確化することを計画とすることにしました。

3.東九条CANフォーラム(準)のこれまでの取り組み

 東九条CANフォーラム(準)は、2008年5月18日(日)に第1回フィールドワーク(FW)を、主に京都市が「まちづくり」を計画している山王学区 4カ町を中心に実施しました(参加者数45名)。次に6月21日(土)に第2回FWを行い、主に陶化学区松ノ木町の在日高齢者デイサービス事業や、障がい 者・高齢者無年金裁判闘争支援などを行っている「エルファ」や障がい者の自立生活を実践している「JCIL」(日本自立生活センター)、かつて「松ノ木町 40番地」と呼ばれた鴨川河川敷のバラック住宅で生活していた人々が住む東松ノ木コミニュティ住宅などで実施しました(参加者数48名)。

◇FWで確認された課題
 第1回のFWで確認されたことは、①東九条、特に河原町より東部には行政が買収したままで活用されていない空地が多い。②北部に隣接する崇仁地区とは対 照的に行政施策が東九条には十分に実施されておらず、そこには部落と在日という歴史的関係が横たわっている。③崇仁地区南部の改良事業で東九条に建設され た北河原改良住宅は他の(旧)同和地区とは異なり行政から放置されたままであり、建替事業が急務である。また、同改良住宅には少なからず在日の方々も住ん でいる。④東九条において主に1990年代に着手された環境整備事業は一定の成果を残したものの、コミュニティの寸断や活気の喪失を生んでいる。⑤第1回 FWに参加された障がい者にとって本企画の一連の流れに参加しにくい制限された要素があり、CANに閉鎖性が存在することなどです。
 第2回のFWで確認されたことは、①「エルファ」や「JCIL」、さらに今後竣工予定の「故郷の家」など、東九条には自主的に自らの生活や労働を保障し ようとする実践が取り組まれており、貴重な社会的資源が多数存在している。②「不法占拠地域」とされた河川敷にコミュニティを維持したまま建設された東松 ノ木コミュニティ住宅でさえも、その画期性とは裏腹に、かつてのコミュニティの活気を維持することが困難であるという課題を抱えている。③東九条には在日 韓国・朝鮮人とともに、ニューカマーといわれる外国人も増え、その思いや熱意が十分にくみ取られる地域の仕組みが未形成であることなどです。

◇WSで確認された課題
 2回のFWを踏まえ、7月26日(土)には「東九条のまちづくりに望むこと」をテーマに第1回ワークショップ(WS)を北河原町の「ハナマダン」(旧・ 「エルファ」)で実施し(参加者数22名)、8月30日(土)には「今、東九条から何ができるか」をテーマに第2回WSを南河原町の「文庫・マダンセン ター」で実施しました(参加者数21名)。そして以下のように課題を整理しました。


<短期的課題>
(1)東九条内の各団体の繋がりの強化と東九条外の団体への情報発信と協同の強化
(2)地元町内会との連携強化
(3)情報発信

(4)歴史の掘り起こし作業


<短・中期的課題>
(1)1年間の活動を踏まえての行政との意見交換と恒常的な窓口の設置
(2)格差社会を睨んだ労働相談センターの設置

<中・長期的課題>
(1)障害者の暮らしやすい施設作り
(2)多文化共生教育(活動)の拠点作り
(3)ニューカマーのための施設の建設やイベントの企画(多文化教育)
(4)空地を活用した住宅や福祉施設などの建設
(5)国際(多文化)市場や商店街などの形成
(6)鴨川/高瀬川を活用したまちづくり
(7)さまざまな資源を利用した文化発信

4.今後に向けて

 以上の経過は2008年の10月に東九条CANフォーラム準備会で整理したものです。

 このように取り組みを経て、準備会では、2009年を迎えた現在、東九条のまちづくりが大きな転換点にさしかかっていると考えました。
 東九条の歴史的経緯から、行政と地元住民の話し合いにより進められてきたまちづくりは、防災対策と住環境整備、暮らしや福祉問題、人権や在日外国人との 多文化共生を目指した幅広いものでありました。しかしその一方で、地域人口の減少、高齢化の進行、空き地の増加などにより、まちの活気が失われ荒廃感を感 じることすらあります。まちづくりは住民が主体となり行政のサポートを受け協働することであると考えます。

 私たちは東九条の特色を生かしたまちづくりを進めるために立ち上がることをここに呼びかけ、フォーラムの設立総会を2009年5月10日に行うことをきめました。